2008年04月09日
宋教仁の思想
この人物の事良く知らなかったなぁ。
勉強になりました。
宋教仁は、中国の伝統的学問を身につけていたが、科挙の廃止に伴い革命を志向するようになった。
宋は終始孫文に対立した革命家であると言われる。革命戦略については孫文の唱えた辺境根拠地革命に対し、宋は長江流域における都市革命を主張し、中部総会を設立した。また、宋は孫文の唱えた大総統制に対し、議院内閣制を主張した。孫文が強力な権限を持つ大総統による統治を望んだのに対し、宋は民主的な議院内閣制を主張したのである。
無論、その背景には袁世凱大総統の独裁をどう抑えるか、という問題があったのだが、宋は議院内閣制により大総統の権限を抑制しようとしたのであった。そしてこの法を以て対立するという態度が袁世凱に恐れられ、ついには暗殺されるに至った。実際、民国初期の段階で政治的主導権を握ったのは、孫文派ではなく、宋教仁であった。
このように孫文と対立し、また孫文が軍事力で袁世凱に対決しようとしたのに対し、宋は法を以て対決しようとした事から妥協的であるといわれ、「革命右派」と呼ばれ、中国では批判されてきた。しかし1970年代以後、日本でも宋教仁研究が進み、現在では現実的な愛国者であると評価されるようになってきた。
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